競馬・競走馬データ集

重賞レースなどでの歴代勝利馬などを紹介。強い馬を知る事が競馬で勝つ近道!

キングカメハメハ

NHKマイルカップ、東京優駿を共にレコードタイムで優勝し、2004年の最優秀3歳牡馬。

当時、誰が乗っても勝てる馬と言われたほど強い馬であった。

2003年11月16日、京都の新馬戦でデビュー。
見事勝利を収め、次走のエリカ賞でデビュー2連勝を飾る。

2004年、京成杯では3着と敗れる。
しかし、これが生涯最初で最後の敗戦となる。

その後、すみれステークス、毎日杯を連勝する。

そして迎えた初GIのNHKマイルカップでは、2着に5馬身差をつけて快勝。

勝ちタイムの1分32秒5は、レコード優勝であった。

次走の東京優駿では、勝ちタイム2分23秒3でまたしもレコード優勝を果たした。

まさに敵なしの強さであった。

秋初戦の神戸新聞杯で勝利を挙げるものの、天皇賞(秋)の2週間前に右前浅屈腱炎を発症。

惜しまれながらもそのまま引退が発表された。

その後、当時の史上最高額21億円で種牡馬となる。

ローズキングダム、アパパネ、ルーラーシップ、トゥザグローリーなどの名馬を次々と誕生させている。

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ヤエノムテキ

品種:サラブレッド
性別:牡
毛色:栗毛
生誕:1985年4月11日(26歳)
父:ヤマニンスキー
母:ツルミスター
母の父:イエローゴッド
生国:日本(北海道浦河町)
生産:宮村牧場
馬主:(有)富士
調教師:荻野光男(栗東)
厩務員:荻野功
生涯成績:23戦8勝
獲得賞金:5億2,422万7,500円

1990年JRA賞最優秀父内国産馬。
東京競馬場の芝2000メートルの元レコードホルダー。
国内レーティングの最高は1989年の112。

気性面や体質面の問題により4歳の2月までデビューが遅れた。

しかし新馬戦、続く沈丁花賞をそれぞれ7馬身差、12馬身差という大差で勝利した。

その後皐月賞に出走。

単勝25倍の9番人気であったが、直線で鋭く脚を伸ばして2着に4分の3馬身差をつけて優勝した。

その後なかなか勝ち星を上げられずに、6歳になる。

迎えた天皇賞(秋)では7番枠からスタートすると中団の内側を追走、直線では内を突いて残り400mで先頭に立ち、GI2勝目をあげた。

その後の有馬記念7着を最後に引退。

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ヤマニンゼファー

品種:サラブレッド
性別:牡
毛色:鹿毛
生誕:1988年5月27日
父:ニホンピロウイナー
母:ヤマニンポリシー
母の父:ブラッシンググルーム
生国:日本(北海道新冠町)
生産:錦岡牧場
馬主:土井宏二→土井肇
調教師:栗田博憲(美浦)
生涯成績:20戦8勝
獲得賞金:5億8080万9600円

父ニホンピロウイナーはGI3勝馬、母も1勝ではあるがGI優勝馬というサラブレッドとして生まれた。
体格も良く期待されていたが骨膜炎などの病気が重なり、デビューは1991年の4歳になってからと遅かった。
しかし、走りは本物であった。デビュー戦で勝利したあとの条件戦も勝利した。
続いてGIIIのクリスタルカップでは、好走するも惜しく3着に終わった。
その後6月に骨膜炎が再発し、休養に入った。
10月に復帰し、復帰2戦目の900万下条件戦で3勝目を挙げた。
そして初GIのスプリンターズステークスに挑むも7着と結果を残すことはできなかった。

翌年2戦目の準オープン戦で勝利を挙げ、オープンクラスに昇格。
安田記念への前哨戦・京王杯スプリングカップを僅差で3着に入り、安田記念の出走が決まる。
11番人気と低評価であったが、最終コーナー手前からスパートを掛け直線半ばで先頭に立ちそのままゴール。
重賞初勝利をGI競走で挙げた。それと同時に父ニホンピロウイナーとの父子制覇も達成した。
その後、勝ち星に恵まれず休養に入る。

年が明けた1993年のマイラーズカップで復帰し2着となる。
京王杯スプリングカップで久々に勝利を手にする。
迎えた2度目の安田記念では、2番人気の支持された。
レースは直線半ばで抜け出して優勝。見事安田記念初の連覇を達成した。
10月の天皇賞(秋)では5番人気の評価であったが、セキテイリュウオーとの激走の末、
写真判定の結果ハナ差勝利した。
年末にはスプリンターズステークスに出走し2着に終わり、そのまま引退した。
翌1月には、当年の年度表彰において最優秀5歳以上牡馬、最優秀短距離馬、最優秀父内国産馬と3つのタイトルを獲得した。

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レッツゴーターキン

品種:サラブレッド
性別:牡
毛色:鹿毛
生誕:1987年4月26日
父:ターゴワイス
母:ダイナターキン
生国:日本
生産:社台ファーム早来
馬主:日本ダイナースクラブ
調教師:橋口弘次郎 (栗東)
主戦騎手:小島貞博→大崎昭一
生涯成績:33戦7勝
獲得賞金:3億7295万円

1989年にデビューするも4戦勝ち星を挙げられなかった。
しかし1990年の5戦目で初勝利、500万下条件にも勝ち、迎えた初重賞の中日スポーツ賞4歳ステークス。

優勝こそ逃したが、単勝11番人気ながら2着に入る好走を見せた。
その後も好走を見せるも勝てず、この年を11戦でわずか2勝で終える。

翌年、初戦の小倉大賞典で勝利。続く中京記念でも勝利し、初の重賞2連勝を記録した。
しかし、この年は勝利したのはこの2レースのみで、ここから7戦連続で惨敗することとなる。

1992年、谷川岳ステークスで単勝7番人気でありながら13ヶ月ぶりに勝利する。
ここからまた勝てないレースが続くものの、2着が多く、好走は続けていた。

そして福島民報杯でその年2勝目を挙げる。
これにより天皇賞(秋)の参戦を決定する。

当時絶頂のトウカイテイオーやナイスネイチャ、メジロパーマーなどと比べると見劣りすることから、単勝11番人気であった。
レース中は後方で待機。

直線に入るとメジロパーマー、ダイタクヘリオスが先頭に立ちそれにトウカイテイオーとナイスネイチャが続くと、
後ろから一気にスピードを上げ、先頭馬たちを一気に抜き去りゴール。
見事な末脚で大波乱を起こした。
このレースの2着は5番人気が入り、馬連は1万7000円と万馬券になった。

G1勝ち馬となったレッツゴーターキンであったが、その後のジャパンカップ、有馬記念、翌年の阪神大賞典でも勝ち星を上げる事が出来なかった。
また阪神大賞典中に故障が判明このレースを最後に引退した。

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トーシンブリザード

品種:サラブレッド
性別:牡
毛色:黒鹿毛
生誕:1998年5月15日
父:デュラブ
母:ユーワトップレディ
生国:日本(北海道浦河町)
生産:村中一英
馬主:稲垣博信・和泉栄一
調教師:佐藤賢二(船橋)
生涯成績:30戦9勝(内中央3戦0勝)
獲得賞金:4億1521万円

2000年9月11日船橋競馬場でデビューし、勝利。第2戦も勝利した。

続く、GIIの全日本3歳優駿。ここでも下馬評を覆し勝利。重賞を無敗で勝ち取った。
その後も、好走が続き、南関東三冠と呼ばれる羽田盃、東京王冠賞、東京ダービーに出走し危なげなく勝利。
史上初、無敗のまま南関東三冠レースを制覇した。

そして、迎えた統一GIジャパンダートダービー。
なんと単勝1.0倍の人気を集め、その期待に答えるべく見事勝利。
無敗の四冠馬となった。
なお、東京王冠賞は2001年で廃止となったため、最初で最後の四冠馬となる。

圧倒的な強さを誇ったトーシンブリザードだったが、ジャパンダートダービーに骨折が判明。
骨折休養後挑んだ統一GIの東京大賞典では、3着となり初の敗戦ではあったが、休養明けとは思えない好走をした。

その翌年、統一GIフェブラリーステークスに出走。底時からを見せるも2着と惜敗した。

次走のかしわ記念では勝利したが、帝王賞で8着と惨敗した後再び骨折が判明。

1年半の休養後、勝ち星を挙げることはできなかったが、7歳まで走り続けた。

2005年のJBCスプリントを最後に引退した。

主戦騎手だった石崎隆之は「これほど賢い馬はほかにいなかった」と語っている。

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バンブーメモリー

品種:サラブレッド
性別:牡
毛色:栗毛
生誕:1985年5月14日(25歳)
父:モーニングフローリック
母:マドンナバンブー
生国:日本(北海道浦河町)
生産:バンブー牧場
馬主:竹田辰一
調教師:武邦彦(栗東)
厩務員:出口光雄
生涯成績:39戦8勝
獲得賞金:5億810万8200円

短距離の追い込み馬として活躍し、2年連続の最優秀スプリンター受賞を果たした。
同時期の活躍馬オグリキャップがライバルであった。

1988年にデビュー。しかし裂蹄気味だったため、しばらくは負担の小さいダート戦を走っていた。
1989年、蹄も大分良くなったため、4月の道頓堀ステークスで初めて芝のレースに挑戦する。
結果は5馬身差で勝利した。
次走シルクロードステークスでは3着と好走し、高い芝コースへの適性を示した。

そして迎えた安田記念。
前半は激しい争いとなって先行馬が総崩れとなり、直線坂上から一気に伸び1馬身半突き放して優勝、初GIタイトルを獲得した。
秋シーズンにはスワンステークスに出走し、3馬身差をつけ勝利。
続くマイルチャンピオンシップでは激闘を繰り広げるものの、オグリキャップの前にハナ差で負けた。
しかしこの年、安田記念・スワンステークス優勝が評価され、JRA賞最優秀スプリンターを受賞した。

翌1990年は天皇賞(秋)で3着、マイルチャンピオンシップで2着と相変わらず好走した。
続くスプリンターズステークスでは、後続に1馬身半差の日本レコードで快勝した。
見事2年連続でJRA賞最優秀スプリンター受賞となった。
しかし、以降勝ち星には恵まれず、1991年のマイルチャンピオンシップ8着を最後に引退した。

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レガシーワールド

品種:サラブレッド
性別:騸
毛色:鹿毛
生誕:1989年4月23日
父:モガミ
母:ドンナリディア
母の父:ジムフレンチ
生国:日本(北海道静内町)
生産:へいはた牧場
馬主:(株)ホースタジマ
調教師:戸山為夫(栗東)→森秀行(栗東)
生涯成績:32戦7勝
獲得賞金:4億2377万4000円

1991年8月、3歳新馬でデビュー。しかし、気の悪さが入厩後に顕れてしまい勝利はできなかった。
その後も勝利に恵まれず、5戦連続未勝利の後に骨折してしまう。
休養中、調教師を去勢することを決める。

その後、1992年7月に行われた4歳未勝利で初勝利を飾ると、三面川特別の3着を挟み、奥尻特別、松前特別で勝利する。
同年9月に初の重賞、セントライト記念に出走する。ここでも素晴らしい走りを見せ勝利。
続く、東京スポーツ杯、ドンカスターSでも勝利を収め、挑んだジャパンカップ。
初のGI制覇を試みるも4着に敗れる。
次走の有馬記念でも、検討するが届かず2着に終わる。

翌年、AJC杯に出走するも2着と勝てず、再び骨折し長期休暇へ。
休み明けの京都大賞典で2着を収め、再びジャパンカップに出走し見事勝利を収める。
日本調教の騸馬としては、初めてGIを勝利した馬となった。

しかし、以降怪我を繰り返し、勝ち星を挙げられず、1996年7月宝塚記念を最後に引退する。

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モンテファスト

品種:サラブレッド
性別:牡
毛色:鹿毛
生誕:1978年5月31日
死没:2010年7月12日(32歳没)
父:シーホーク
母:モンテオーカン
生国:日本(北海道浦河町)
生産:杵臼斉藤牧場
馬主:毛利喜八
調教師:松山吉三郎(美浦南)
生涯成績:27戦8勝
獲得賞金:1億8955万5200円

1980年11月の新馬戦でデビュー。4着となる。

その後未勝利戦を戦うも勝利はできなかった。

1981年1月に未勝利戦で勝利を上げる。デビュー4戦目にして初の勝利であった。

その後、慢性的な脚部不安を抱え、、幾度も長期休養を経験しながら勝ち切れないレースが続いた。

それでも1983年の天皇賞(秋)では、4着と順位を上げた。

そして次走の目黒記念(秋)で初の重賞タイトルを手にした。

翌年の天皇賞(春)では、6番人気ながらた他馬を抑え見事優勝を飾った。

しかし、その後は勝ち星を挙げることは出来ず、同年の天皇賞(秋)14着を最後に引退した。

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メジロパーマー

品種: サラブレッド
性別:牡
毛色:鹿毛
生誕:1987年3月21日(23歳)
父:メジロイーグル
母:メジロファンタジー
母の父:ゲイメセン
生国:日本(北海道伊達市)
生産:メジロ牧場
馬主:(有)メジロ牧場
調教師:大久保正陽(栗東)
生涯成績:38戦9勝(うち障害2戦1勝)
獲得賞金:5億3674万2200円

1992年年のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および最優秀父内国産馬で逃げ馬として有名。
障害競走転向から平地競走に復帰しGI競走に優勝した唯一の馬。

1987年8月にデビュー。初戦と第2戦は2着となる。
3戦目で初勝利を挙げると次走の走のオープン特別戦でも勝利する。

しかし、その後良い成績を上げられず、6戦目の京都3歳ステークスの競走後に左後脚の骨折が判明。
長期休養を余儀なくされた。

翌年6月に復帰するも、重賞初出走となった函館記念の競走後に再び骨折。
再度長期療養を取ることとなった。

その後復帰戦で12着と大敗。

これを機に障害転向を検討することに。平地競走と同時に障害練習も開始された。

その後初のGI天皇賞(春)に出走するも13位に終わる。

500万下クラスの初戦を2位としたが、次走の十勝岳特別では大差で逃げ切り、約1年9ヶ月振りに勝利した。

続く札幌記念でも勝利し、重賞初勝利を挙げる。

しかし、10月の京都大賞典では最下位になり、これ機に障害転向が決定した。

11月に障害競走デビューを飾るもここでも思うような結果は挙げられなかった。

飛越が下手であったこともあり、たった2戦のみで障害に見切りを付け、休養に入った。

復帰戦を4着、続く天皇賞(春)も7着と相変わらずの成績だった。

しかし、次走の新潟大賞典では半年ぶりに勝利し、迎えた宝塚記念。
有力馬であったメジロマックイーンが骨折のため不在ということもあり、2着に3馬身差を付けて逃げ切り、見事GI初制覇を果たした。

しかし、京都大賞典で9着、天皇賞(秋)では17着の結果となり、宝塚記念はまぐれと評された。
そして、次走の有馬記念。15番人気という評価にもかかわらず、序盤から単騎逃げでレースを先導。
そのまま10数馬身差をつけ走り、最後は追い込まれるもハナ差逃げ切り史上4頭目の春秋グランプリ連覇を果たした。
当時、馬連配当3万1550円は、有馬記念史上最高の払戻額となった。
翌年、阪神大賞典では3分9秒2のレコードタイムで優勝した。
以降7戦に出走するも勝利を上げられず、日経新春杯を最後に引退した。

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ミホシンザン

品種:サラブレッド
性別:牡
毛色:鹿毛
生誕:1982年4月16日(28歳)
父:シンザン
母:ナポリジョオー
母の父:ムーティエ
生国 :日本(北海道浦河町)
生産:日進牧場
馬主:堤勘時
調教師:田中朋次郎(美浦)
厩務員:高橋治男
生涯成績:16戦9勝
獲得賞金:4億8467万9200円

五冠馬シンザンの種牡馬生活晩年の産駒であり、その最高傑作と言われている。

1985年1月の新馬戦でデビュー。2着に9馬身差つけて大勝した。

次走の条件戦では、最後の直線で先行馬を一気に差し切りデビュー2連勝を飾る。

重賞初戦となった、スプリングステークスでは、2着に2馬身弱の差を付けて勝利した。

そして、迎えた皐月賞。当日までに右前脚に骨膜炎の症状が表れており、状態は良くなかった。
しかし、レースは第3コーナーより一気に伸びそのままゴール。
5馬身差をつける圧勝劇で、無敗のまま見事G1初制覇となった。

レース後、左前脚の骨折が判明したが、軽傷だったため、同9月のセントライト記念で復帰。
しかし不良馬場ということもあり、力を発揮することができず、初めて敗れた。
次走の京都新聞杯で勝利し、菊花賞の出場権を手にする。
クラシック最終戦の菊花賞では、直線半ばから抜け出し勝利。見事クラシック2冠馬となった。
同年末の有馬記念では、2着に敗れた。

ここまで、良い成績を残してきたが、翌年は怪我もあり、1勝も上げることはできなかった。

そして、1987年1月。アメリカジョッキークラブカップで約1年2カ月ぶりに勝利をあげる。

同年4月、天皇賞に出走。しかし、この時は現役で最悪の状態と言われていた。
レースは最短距離を通り、先頭に立つ。後方から追い上げをハナ差交わし、三度目のGI制覇となった。
競走後のミホシンザンは駈歩もできない程に疲労困憊しており、調整するも回復は見られずそのまま引退した。

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